サヨナラの言葉とアリガトウの気持ち

こんにちは、ディヴァイドです。

更に一夜開けて、ささっと着替えを済ませたら斎場へ向かいます。
葬式は前日同様、受付には隣組の皆様。
お昼ご飯等はこれまた昨夜同様、あづま寿司さんにお願いとなります。
前日に参列出来なかった親戚も仕事が忙しい中、本日は来てもらえるとのこと。
私は前日同様参列される方々に深々とお礼をしてゆきます。
小さい子なんかは「死んだ親族が居る認識」はあるようですが、
元気いっぱいに会場を走り回っています。
寂しい気持ちもなんだか癒される部分がありますねぇ。

式開始には全員揃うことが出来、しめやかに葬式が始まりました。
私の昨夜同様の馬鹿げた空想も相変わらずです。
まだこの親族の席にいることに対して、現実味のないフワフワとした虚脱感もあります。
でもやはりこれも現実なのだと自分に言い聞かせながらも、
自分が幼かった頃からの母親との色々な出来事を思い出しては懐かしく感じました。
読経の後の焼香が終わり、父親のスピーチ。
ここぞというところでズタボロになる父親のスピーチは兄の結婚式の時と同様でした。
あの時は酒が入っていてロレツが回っていませんでしたが、
今回は小さい声で原稿を見ながらにも関わらず、ツッカエた感じ。
内弁慶で見栄っ張りな親父も、芯は弱い人間なんだなと再確認しました。

最後に棺にお花を添えます。
母親のキャラクターを考え、笑顔で送り出したいと思いなるべく泣くまいと思っていましたが、
やはり一筋の涙がこぼれ落ちます。
そういえば去年何度このシーンが有ったのだろう。
父方の伯父、母方の叔父、母方の祖母で合計3回ですっけねぇ。
そして今回の実の母と、1年ちょっとの間に合計4人の親族の他界。
まだまだ若い年齢にはそぐわない死というのは、
家族にそれまでの介護疲れと死という衝撃を産み、
そして苦しみからの開放を意味します。
これで一番大変だった兄が楽になってくれたのならそれはそれで良いことなのでしょう。
そのように自分に反芻で言い聞かせておくことぐらいが、
今の段階では己が出来うる最大限の努力と捉えております。

一通りお花を添えた後、もう一度母親のおでこを撫でます。
もちろん冷たくなった体からはなんの返事もありません。
「今まで本当に有り難う」と心のなかで呟きながら、
短い時間ですが、滲んで見える母親の最後を目に焼き付けます。
皆のお花で満たされた棺に蓋を被せます。
霊柩車まで運んだ後、兄のスピーチ。
そして真っ青な青空に白い鳩が飛んだ後、
クラクションを鳴らした霊柩車を先頭に火葬場まで移動となります。

前回来た瀬高の火葬場に到着。
親族があつまったら炉の前に一同あつまり遺体へ合掌。
火葬開始のボタンを押すことが最後に妻にしてやる父親の夫としての顔です。

小一時間後、骨だけになった母親が出てきました。
もう骨という物質として存在するだけです。
母親のあの形は自分の心のなかに吸い込んでしまったような、そんな気さえします。
骨を一つ一つ拾い上げ、喉仏を確認し、頭蓋骨を最後にのせ骨壷を閉めます。
これで一同一旦解散。
自宅へ帰り一息ついた後あづま寿司さんで会食なのですが、
私は都合により弁当をもらいアンジーさんと福岡へもどることとなります。

さて、今回アンジーさんに色々と気苦労をさせて本当に申し訳ないと思ってます。
ブログでは言えないような事が多々あったのですが、
アンジーさんの女性としての器量の良さに惚れ惚れいたしました。
人は極限の中でこそ試され、その本質は見え隠れするものだとつくづく思います。
そして、アンジーさんのご両親にも色々とお気遣い頂いて大変申し訳なかったですねぇ。
「いつか皆さんへお返し出来たらいいなぁ・・・」と、辺りが薄暗くなって来た帰りの車中で思うのでした。

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